
体験者ストーリー
“食べ方”が変わると、
生き方が変わる。
Personal Stories
からだの不調は、ある日突然
やってくるものではありません。
少しずつ積み重ねてきた
“食べ方”や“考え方”のくせが、
いつの間にか体の声を
聞きにくくしていることがあります。
この事例は、そんな日々の中で
「食べ方を見直すこと」
から自分の体と向き合い、
少しずつ変化を取り戻していった
一人の記録を、その方の原文で
記載しています。
症状や悩みは違っても、
その根底にある“からだの仕組み”と
“食の力”は共通しています。
あなたが自分の体を大切に思い直す
きっかけになれば幸いです。

ご注意・免責事項
※本ページは個人の体験記であり、すべての方に同じ変化を保証するものではありません。
※現在治療中の方、服薬中の方、強い症状がある方は、自己判断で中止・変更せず、医師・薬剤師など専門家へご相談ください。
アトピー体験記
──幼少期から⼆⼗歳までの記録
これは⼀⼈の体験ですが、同じ思いをしてきた方の支えになればと思い、当時のままの言葉で記しました。
幼少期から⼆⼗歳位までずっとアトピーでした。家族は3つ下の弟も同じ様な症状ですが、両親はアトピーではありません。
【症状が出た箇所】
・肘の内側
・膝の裏側
・⾸まわり
・頭⽪
・⽬のまわり
・顔まわり
・唇
・⽿
・背中
・脚
ざっとこれだけの部位に症状が現れました。
両親はアトピーではないので私や弟の⽪膚を⾒てどうして良いか分からなかったと思います。そこで両親は私と弟を海に連れて⾏き、患部に海⽔をバシャバシャと掛けてきました。
痒くて⾎が出るほど掻き崩した患部に海⽔を掛けたらほとんどの⼈は痛いだろうなと想像つくかと思います。が、その想像すらできなかった両親は、化学療法ではなく天然のものでどうにか治って欲しいという⼀⼼からその様にしたのだろう…と今なら思えます。
その後は結局、⽪膚科へ通うことになりました。
薬剤名も商品名も書かれていない緑⾊のチューブに⼊った塗り薬を何年も塗り続け、痒みは⼀時的にはおさまりましたが塗った箇所は徐々に⿊ずんでいきました。これがステロイドなのだと理解したのは海⽔を浴びてから⼗年後位だったと思います。
中学⽣になると更に悪化し、⽬のまわりは⽪膚が剥がれ落ち⽬やにの様に⾒えます。唇は⽪が剥がれ⾚く腫れあがっていました。頭⽪はフケの様に濃紺の制服のブレザーにポロポロと落ちていて恥ずかしい思いをしました。
幸い友⼈やクラスメイト、部活のメンバーも皆んな優しく接してくれたおかげでからかわれたりいじめられたことは⼀度も無くとてもありがたい⼈間関係でした。
ちなみに部活は剣道部でした。防具を全⾝ガチガチに着けて汗をかくのでアトピーにはあまり良くなかったかもしれません。
そしてその後は⼀旦症状は落ち着きますが精神的⾁体的に負担がかかると症状はすぐに悪化しました。
ところが、⼆⼗歳前後からは症状はだんだんと無くなって⾏きました…。完全に症状が無くなる直前に1度だけ強烈なアトピーの症状がドーンと出た後は不思議と何も出なくなったのです。
ここから、なぜアトピーになったのかを私なりの解釈でお伝えします。
あくまでも私の経験から来る個⼈的⾒解で万⼈に当てはまるとは限りませんのでご了承ください。
5つの⾓度から⾒ていきます。
(1) ⾷べ物
実家の⾷事は物⼼ついた幼少期からお酒のつまみでした。
つまみと⾔えば、主に塩⾟もの。お酒を飲むのは⽗だけです。私の3歳の誕⽣⽇パーティー(家族内)に並べられた⽫は全て酒のつまみでした。そしてテーブルの真ん中にホールケーキが置かれていました。私は指を3本⽴ててケーキと共に笑顔で写真におさまっています。
普段から⼤⼈が中⼼の⾷事です。ほとんど醤油味。何でも醤油を掛けて⾷べるスタイルです。そうするとどうなるかと⾔うと、塩っぱいものを⾷べた後は⽢いものが⾷べたくなるのです。
駄菓⼦屋が近所にあり⽢いもの中⼼にお菓⼦など買ってもらい帰り道にアイスやかき氷を⾷べながら歩いたことを思い出します。
⺟はコーラ好きで、私と弟には「これは飲んだらいかんよ」と⾔って常に冷蔵庫にコーラをストックしていました。今思えば私が⽣まれる前から常飲していたのだろうと思います。
(2) 親子関係
⽗は、ザ・昭和の仕事⼈間。休⽇出勤の時は職場に連れて⾏ってくれてそれなりに楽しかったです。休⽇は私と弟を膝に座らせて本を読んでくれたりしました。
⺟はリーダー気質で何でも従わせるタイプです。なので全て⺟の⾔う通りになってしまいます。私は何ひとつ意⾒を⾔えずにいました。ある時、恐る恐るピアノを習いたいと⺟に⾔うと、「〇〇さんのお⺟さんが先⽣やってるから⾃分で⾏って聞いてみれば?」と。
因みにこれは⼀例です。 ⺟に⼼を開くことはありませんでした。
(3) 心
これはある先⽣からレッスンで教わったことです。⽣きているうちに知ることができて救われました。それは、
- ⽪膚疾患は表⾯に出ているものだけを治療するのではなく内側、⼼の状態を理解し、治癒していく
- ⼼、⾝体、魂 3つの⽅向性から症状を癒していく
もう、このタイトルを⾒ただけで燻っていたものが⼀気に吹き⾶びました。あの時私って、⾃分軸じゃなかったんだ。向き合いたくない感情があったんだ。愛情不⾜だったんだ…など。
あの時。もしかしたら今も。
⾃分の⼼と向き合えていなかったことに気づいたのです。⼼を癒さない限り⽪膚が悲鳴を上げ続けることになるのだな…と⾃分に⾔い聞かせました。
(4) 五行
「⽊⽕⼟⾦⽔」のうちアトピーは「⾦」に当てはまります。
「⾦」=⽪⽑(⽪膚)、肺、⼤腸、⿐、悲しみ、⾟、⽩。
私の場合、アトピーは20歳くらいまで。その後すぐに喘息へ移⾏しました。アトピーが20年、喘息は30年以上の付き合いです。
その喘息も「⾦」=肺なのです。
- 表=アトピー(⽪膚は表⾯から⾒える)
- 裏=喘息(肺は体の内側なので表からは⾒えない)
「表証」と「裏証」というそうです。
そう⾔えば、
- アトピーは「温める」と痒くて⾟い。
- 喘息は「冷える」と気道が狭まり呼吸が⾟い。
表裏⼀体であることがわかります。
ここはもっと勉強しないと!と個⼈的には思っています。
(5) 歴史的背景
敗戦後、アメリカの⼒によって⾷⽣活がガラリと変わってしまいました。今まで⾷べる習慣が無かった物や調理法までもがアメリカンスタイルに…
祖⺟が妊娠中、まだアメリカの⾷事は⾷べていませんので⽣まれてすぐの⾚ちゃんがアトピーなんてことは無かったと思います。私の両親は戦時中に⽣まれ、敗戦後のアメリカ主導の料理を⾷べ始めた時期と重なります。
アトピーの始まりは私の親世代のアメリカ式の⾷べ物によって作りだされたと考えます。
アトピーは同じ背景でもなる⼈とならない⼈がいます。
最初にも触れましたが万⼈に共通ではありません。
そして、私には19歳のひとり娘がいますが、幸いアトピーではありません。
なぜ娘が アトピーでも喘息でもないのかは分かりません…
アトピーになりやすい⼈にとってひとつ⾔えることは、やはり⾷事が原因だと思います。
少しでも共感できることがあると幸いです。
「薬断ち」体験記
──発作と薬に依存した⽇々から
アトピーから喘息に移⾏したお話をしました。
喘息は対症療法により⻑いこと薬を使ってきました。アトピーで死ぬことはないですが、喘息は死に⾄ることがあるから薬を使わざるを得ませんでした。
20 代の前半はやり過ごしていたのですが、徐々に夜間の救急病院へ⾏かざるを得ない発作に襲われる様になりました。それ以来、気管⽀拡張剤(吸⼊)を持ち歩き常に発作に備える⽇々でした。
その後しばらく安定していましたが、夫の海外駐在(イタリアの滞在先)に帯同したことがきっかけで再び発作が起きる様になりました。
現地のクリニックで定期的に気管⽀拡張剤を処⽅してもらっていました。
海外は⽇本にはない植物がたくさんあり、イタリアの滞在先ではポプラの綿⽑が春になると視界の邪魔になるくらい⾶散し私にとっては毎年恐怖でしかなかったです。
ポプラの綿⽑は吸い込むとアレルギー反応を起こし気管⽀がものすごく狭くなります。通常の気管⽀は⼤体500円⽟の⼤きさですが、発作を起こすと1円⽟以下に気道が狭くなってしまいます。なのでかなり息苦しくなります。
呼吸がしんどくなり外出を控えたりしましたが、娘の学校の送り迎えだけは外出し吸⼊を必ず持って⾏きました。
7 年半のイタリア⽣活の後はオーストラリアへ
7 年半のイタリア⽣活の後は転勤のためオーストラリアへ。そこでまたも洗礼を受けることになります。
オーストラリアはスポーツ⼈⼝が多く、私も健康のためにウォーキングをする様になりました。植物園の周りがランニング、ウォーキングのコースになっていて私はそこで積極的にウォーキングをしました。
洗礼を受けたのは、コロナ禍。パンデミックの恐怖やストレス、そして植物園の得体の知れない植物の影響で再び喘息発作を発症し、ある⽇を境に痰が⽌まらなくなりました。
⾎液検査でその植物園の中にある植物のほとんどに私はアレルギー反応を起こしていました。健康のためにウォーキングを始めたのに不健康に…泣
その後は、体を起こしていると⼤量の痰が出てくるので、毎⽇寝たきりとなりました。
それからです。
たくさんの種類の薬が⼿放せなくなってしまったのは。
帰国
夫が⼀旦帰任になり東京オリンピックのさなかに帰国。首都圏の⼤きな幹線道路沿いのマンションに住みました。
そこは、ものすごい排気ガスと降り注ぐ⿊いすすで汚染されていました。マンションの排気⼝から真っ⿊なすすがどっさり落ちて来た時、もう私はここには住めないと思いました。
案の定、呼吸困難になりました。たった徒歩5、6分の⼤学病院へはタクシーで⾏きました。外を歩いたら喘息で死んでしまうと思ったほど重症だったからです。
ここでもたくさんの薬を処⽅されました。
効いているのかわからない様なものから漢⽅やら。とにかくたくさんの薬達。
しばらく飲み続けました…
住まいへ帰宅
話が⻑くなってしまいましたが、ようやく郊外の持ち家に戻りそこで声を掛けてくださったある先⽣のレッスンに参加し「薬断ち」が叶うことになります。
レッスンを受けていくうちに、私にとってものすごく重要なことを教えてくれている! と、気づきました。
最初は正直⾔って、何の勉強をしているのかわかっていなかったと思います。重要だと気づき先⽣の話したことは必ずメモをとるようにしています。
不調は喘息の他、頭痛、肩こり、⾼⾎圧、アザ、こむら返りなどなどたくさんの症状を抱えていましたが、今では全て消え体が軽くなりました。
それは、果物を含めた「⽢いもの」に私の体は⽀配されていたからです。おかげで呼吸器内科に⾏くことも薬を買うこともなくなりました。
何と⾔っても私の体は背⽔の陣。気づいてすぐに実⾏したことが功を奏し今に⾄ります。
病気を通して、俯瞰してみると⼈はひとりひとり違うという認識をものすごく強く感じるようになりました。
誰かの正解は誰かの不正解になることもあるということ。
今までは⾃分のことで精⼀杯だったのですが、薬断ちによりゆとりが⽣まれ周囲を⾒渡すことができる様になってきたかなと思います。
頭痛体験記
──“当たり前”だった痛みと
向き合う
幼少期からアトピーとともに頭痛にも悩まされてきました。
私と弟はほぼほぼ同じ体質です。弟もアトピー&頭痛持ち。 お互い⼤⼈になってからも会えば 「どの頭痛薬が効くか」の話題が必ず出ます。
「これよく効くからお試しに1包あげる」
なんて久しぶりに会ってもこんな会話です笑
⼦供の頃、私はしょっちゅう頭痛を⺟に訴えていました。ある⽇⺟が、「頭痛くなったらここに薬置いておくから飲みんや〜」と。⺟は愛知県の東三河地⽅で⽅⾔が独特です。私はその⽅⾔がとっても好きでした。
⾷器棚の引き出し上から2番⽬にオレンジの箱の⼩児⽤バファリンが⼊っていました。
「⼩児⽤バファリンってオレンジ味で美味しいんだよね〜」
って。まだ薬がどう⾔うものか知らないうちから飲んでいました。
それからずーーーっと、⼤⼈になっても頭痛ければ薬を飲む⽣活に。
「バファリンってずっと飲んでると効かなくなるんだよね!」
って頭痛仲間との話。
バファリンだけでなくどの頭痛薬でも常⽤するとだんだん効かなくなって⾏きます…
海外に住んでいた時のこと。「⼀時帰国の時、IVE(イヴ:⽇本の頭痛薬)2箱買ってきて!」と。頭痛仲間同⼠頼んだり頼まれたり。
イタリアの鎮痛剤は驚くほど強い作⽤があり、さすがに体に良くないことがわかっていたので⽇本製の薬はストックしてありました。
欧⽶⼈は体のサイズが⼤きいのでその分薬の成分も強いのです。
半年に⼀回はかなり強烈な頭痛があり、娘が私を⼼配し泣きそうな顔になっていたことを思い出します。私にとって頭痛は当たり前過ぎて掘り下げたことなんて⼀度もありませんでした。
そして、ついに。帰国後、頭痛とおさらばできる⽇が現実となりました。
私は先⽣に、「今⽇は頭痛で…」と、お弁当作りのボランティアへ⾏く⾞の中で⾔いました。すると、
「何か⽢いもの⾷べてない?果物とか。」
と⾔われ、
「そう⾔えば、シャインマスカットを⺟からもらって1粒⾷べた」
と答えると、それが原因だと先⽣は⾔います。
「まさか〜」
とその時は思いましたが、果物含め⽢いものを⼀切摂らなくなるとそれ以来頭痛は襲って来なくなったのです。
なんて私はラッキーなんだろう
今も頭痛で苦しんでいる⼈はたくさんいて、今もずっと薬を買い続け服⽤している⼈はこのことを知らない。
私はそれこそ⾊々な体の不調を抱えていたので、良いと思うことはすぐに実⾏するという思考だったのですが、この結果は本当に驚きました。
頭痛で⻑年困っている友⼈に伝えたことがあります。 でも…。
お伝えした時はその友⼈は⼆つ返事でやってみるよ!
と⾔っていたけれど結局… 次回会った時には思いっきりクリームソーダを飲んでいて市販の頭痛薬どころか、⼤学病院の頭痛の⾃⼰注射を何万円も出して打っていると聞いて驚きました。
結局、聞き⼊れる⼈とそうでない⼈の⼈⽣は雲泥の差ではないかと思うのです。
⺟にはもう⽢いものはお断りし、それ以来⽢いものではなくお⽶や海苔など私にとってありがたい物を受け取っています。とても感謝しています。
⺟なのですんなり⾔えましたが、⺟でなくとも親戚や信頼関係のある友⼈には正直に伝えています。
私にとって⾷べられる物、⾷べられない物。 理解してもらい、だいぶ⽣きやすくなりました。
娘の学校のママさんランチ会は毎回和⾷レストランにしてくれます。
理解いただける⼈たちに感謝しつつ、⾃分を蔑ろにしないと固く誓ったのでした。



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Consultation
体に出ているサインを
望診で読み解く
事前の質問表をもとに、今のお悩みや体の状態をうかがいながら、食事・生活との関係を読み解いていきます。
こんな流れで行います
- 質問表の記入
- 身体のサインを確認
- 食事内容・生活リズムを
確認 - 今の体に合った食事の
ヒント - 必要な方には食箋の一部を
お渡し
一人で考えてもわからなかったことを、体の状態に合わせて一緒に整理していきます。
